金ヶ崎城

Thursday, 20 September 2012
金ヶ崎城は「太平記」に「かの城の有様、三方は海によって岸高く、巌なめらかなり」とあり、この城が天然の要害の地であったことがわかる。

南北朝時代の延元元年(1336)10月、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて当時気比氏冶の居城であったここ金ヶ崎城に入城。約半年間足利勢と戦い翌2年3月6日遂に落城。尊良親王、新田義顕以下将士300余名が亡くなったと伝えられる。

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