2012年5月アーカイブ

新発田城

Monday, 28 May 2012
平地につくられた城で、構えは本丸を二の丸が取り囲み、南に三の丸を突き出し、その南東端に大手門を開いた南北に長いひょうたん状をなしており、南西部一帯に城下町がつくられている。

本丸は藩主、二の丸の南半分と三の丸は家老など上級藩士の居住地であり中級以下はこれらをとりまいて住んでいた。

新発田城04.png

甲府城

Thursday, 24 May 2012
明治時代には廃城となり、建物はほぼなくなり、葡萄酒醸造所が造られるなどして、明治37年(1904)に舞鶴公園として開放されました。

大正6年(1917)に明治維新後陸軍省所管となっていた甲府城跡を、甲府市(旧柳町在住)の村松甚蔵氏の寄付をもとに払い下げを受けて県有地としました。

戦後の市街地復興に併せて公園整備を進め、昭和39年(1964)に都市公園「舞鶴城公園」として都市計画決定され、昭和43年には県の指定史跡となりました。

甲府城02.png


安土城

Friday, 18 May 2012
【安土城 大手道】
大手門から山腹まで、約180mにわたって直線的に延びる部分の道幅は、約6mと広く、その両側に幅1~1.2mの石敷側溝があり、さらにその外側に高い石塁が築かれています。

道の東西には、複数の郭を雛壇(ひなだん)状に配置した伝羽柴秀吉邸跡・伝前田利家邸跡等の屋敷があり、これらは書院造りの主殿を中心に厩(うまや)や隅櫓(すみやぐら)等、多くの建物で構成されています。
まさに安土城の正面玄関を飾るにふさわしい堂々とした屋敷地を言えるでしょう。

山腹部分は、傾斜が最も急なところで、ジグザグに屈曲しながら延びています。この付近は、踏石や縁石に石仏が多く使われている他、屈曲部分に平坦な踊り場を造ることなく、踏石列を扇状に展開させていることが特徴です。

安土城03.png

小谷城

Wednesday, 16 May 2012
清水谷は、小谷山に深く開折した谷で、開口部約180m、奥行き約1kmの平地部と、その奥長さ約920mからなる。

清水谷は小谷城の大手と考えられ、谷中央の道「清水道」の両側には武家屋敷があったと考えられる。

小谷城03.png

横須賀城

Thursday, 10 May 2012
横須賀城の天守は建て坪40坪余、4層の建物と記録されています。
ここからは礎石と礎石を抜き取った穴がおおよそ2mの間隔で碁盤目状に27箇所検出され天守跡と考えられます。

横須賀城01.png

倶利伽藍古戦場

Sunday, 06 May 2012
寿永二年(1183)信州の木曽山中で兵を揚げた源義仲は、京都をめざして北陸路を進軍。

十万の兵を率いる平維盛と加賀・越中の国境砺波山(倶利伽藍山)で対戦した。

埴生護国八幡宮に戦勝祈願の願文を捧げ、火牛の奇計を計り、五月十一日夜半、四万余騎にて一斉攻撃を開始。

くりから1.jpg

くりから2.jpg

artisan-net.com