2012年4月アーカイブ

越前丸岡城

Monday, 30 April 2012
織田信長は天正三年(1575)一向一揆の拠点であった豊原(東方4キロ)を攻略した。

柴田勝家を越前の守護職とし、勝家は甥で養子の勝豊を豊原に置いた。

天正4年(1576)勝豊は豊原から丸岡に城を移し、新たな城下町形成へと歩みを進めた。

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小谷城

Sunday, 22 April 2012
小谷山は標高495mの急峻な山で、前面には姉川、高時川、虎御前山、背後に伊吹山が控える要害に位置し、眼下に湖北平野が広がる。

城下には、北陸と東海地方を結ぶ北国脇往還道が、南東17kmには中山道が走り、背後の伊吹山系には越前・美濃への間道がある交通の要衝に位置している。

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加納城

Thursday, 19 April 2012
徳川家康は、慶長6年(1601)3月、娘婿の奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を加納城主として10万石を与え、また亀姫の粧田として二千石を給した。

築城は岐阜城落城の翌年で、岐阜城の館邸を加納に移して修築した。
本丸、二の丸、三の丸、厩曲輪(うまやぐるま)、南曲輪(大藪曲輪(おおやぶぐるわ))などを備え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。

加納城歴代城主は、奥平氏の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏と変遷し最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。
明治2年加納城第16代城主、永井肥前守尚服(なおこと)が版籍を奉還し、加納藩は同年7月14日に廃藩に至った。
加納城址は、この本丸のほかには二の丸北側の石垣をわずかに残している。

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春日山城

Sunday, 15 April 2012
【春日山城址 三郎景虎屋敷跡】
上杉謙信の死後、跡目を争った「御館(おたて)の乱」で敗れた悲劇の武将三郎景虎。小田原城主北条氏康の子で、人質として春日山城に来ました。

謙信から景虎の名を与えられたことでも、人質としては破格の待遇であったことがわかります。また、美男として伝えられています。

跡目争いでは越後国外からの人質であったためか次第に援助の武将も離れ、最後は自害して一生を終えました。

小説「炎の蜃気楼」で現在に蘇った景虎が美しい男性として描かれて人気を博しています。

近年、春日山城で最も賑わいを見せている郭の一つです。

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北ノ庄城

Wednesday, 11 April 2012
織田信長は、一向一揆を壊滅させた直後の天正三年(1575)8月に越前49万石を柴田勝家に与えた。

勝家は足羽川と吉野川との合流点に北ノ庄城を構築した。

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犬山城

Sunday, 08 April 2012

犬山城は天文六年(1537年)の織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。

戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

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安土城

Wednesday, 04 April 2012
【安土城 大手道】
目の前にまっすぐ延びている幅広い道が、安土城の大手道です。安土城の正面玄関である大手門から山頂部に築かれた天守・本丸に至る城内では最も重要な道です。

大手道は、その構造から、直線部、横道、七曲がり状部分、主郭外周路部分の三つの部分によって構成されています。

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広島城

Sunday, 01 April 2012
太田川河口のデルタ上に築かれた大規模な輪郭式の平城

天正17年(1589) 毛利輝元 築城工事に着工
天正19年(1591) 毛利輝元 入城
慶長5年(1600) 福島正則 入城
元和5年(1619) 浅野長アキラ 入城

明治4年 廃藩置県により本丸内に広島県の役所が置かれる。
明治27年 日清戦争時本丸内に大本営が設けられる。
昭和20年 原爆により天守閣、太鼓櫓、表御門などすべて崩壊。
昭和33年 現在の天守閣再建。

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