鶴丸城

Wednesday, 14 March 2012
77万石の本拠は天守閣をもたない屋形づくり
鶴が翼をひろげた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれていました。

1601年(慶長6)島津家18代家久が、関ヶ原合戦の後、上山城(城山)の補修と麓の居館づくりを思い立ち、父義弘のここは海に近すぎて危ないという反対を押し切って着工します。

家久はこの地を政治・経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。まず居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、1606年(慶長11)城の前の橋が完成したとされています。

城といっても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や層楼のない屋形づくりでした。
これは「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想によるもので、藩内の各所には兵農一致の郷土団が守る外城がめぐらされていました。

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