2012年3月アーカイブ

金沢城

Wednesday, 28 March 2012
【石川門】

金沢城の搦手門(からめてもん)(黒門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」とよばれた。

櫓と櫓を長屋でつないだ重厚な枡形(ますがた)門に造られている。

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墨俣一夜城

Sunday, 25 March 2012
昭和52年、愛知県江南市の文化財保護委員瀧善義氏により紹介された、同市前野の旧家吉田龍雲家所蔵の前野家古文書は、企画・準備・押出・戦略・構築の状況が具体的に記録され、一夜城の謎を解明する新しい史跡として注目に値します。

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手取川古戦場

Wednesday, 21 March 2012
【上杉・織田手取川の戦】
天正五年(1577)9月23日上杉謙信と織田信長軍との戦いが、この手取川一帯で行われ、この地より遠望することができる。

9月15日 上杉謙信は七尾城を攻略したが、織田信長軍総勢五万が加賀手取川を越えたという情報を受け、9月18日馬を走らせ南下した。
柴田勝家を総大将に前田利家、滝川一益らの勇将が謙信を待ち受けていた。
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上杉家墓所

Sunday, 18 March 2012
米沢藩主上杉家の墓所で、昭和五十九年に国の史跡に指定。

正面中央が上杉謙信の廟で、その左右に初代藩主景勝から十二代藩主斉定が交互に建っている。

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鶴丸城

Wednesday, 14 March 2012
77万石の本拠は天守閣をもたない屋形づくり
鶴が翼をひろげた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれていました。

1601年(慶長6)島津家18代家久が、関ヶ原合戦の後、上山城(城山)の補修と麓の居館づくりを思い立ち、父義弘のここは海に近すぎて危ないという反対を押し切って着工します。

家久はこの地を政治・経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。まず居館を築き、その周辺に家臣の屋敷を移し、1606年(慶長11)城の前の橋が完成したとされています。

城といっても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や層楼のない屋形づくりでした。
これは「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想によるもので、藩内の各所には兵農一致の郷土団が守る外城がめぐらされていました。

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松代城

Sunday, 11 March 2012
江戸時代の建物や生活の様子は、地下に埋まっている痕跡から想定することができます。
松代城跡においても建物柱の基礎となる礎石や、火災・水害の痕跡が確認されました。

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小丸山城

Wednesday, 07 March 2012
天正九年(1581)八月、織田信長より能登一国を与えられた前田利家は、直ちにこの小丸山城を築くが、戦陣に明け暮れる毎日なので、能登の領国支配は兄の前田安勝を城代とし、所口(七尾)町奉行に三輪吉宗・大井久兵衛を当たらせた。

この時、前田一族を支えたのは、鎌倉時代より輪島・穴水地域の大屋地頭、室町時代には畠山家臣として能登の住民になじみのあった長連龍(ちょうつらたつ)であった。

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富山城

Sunday, 04 March 2012
昭和29年、富山城址一帯で富山産業大博覧会が開催されました。
これは、昭和20年8月2日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。

その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山市郷土博物館(富山城)です。
旧本丸鉄門(くろがねもん)跡の石垣上に建てられた、鉄筋コンクリート造りの建物で、望楼を乗せた三重四階の天守、二重二階の小天守など、城郭の意匠でまとめられています。

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